実は幸せなのでは

しゃちょーのひとりごと

実は幸せなのでは

当社の今期のテーマは「人を育て、人と成長し、人と成果を出す」です。

その上で大切なのは「教育」と「教養」です。

教育をしなさい、リテラシーを高めなさいという言葉をよく使います。

教育も教養もとても大切なのですが、別の意味でも考えて欲しいことがあります。

それは「今日行く」「今日用」です。

「教育をする」ということは「教育する人がいる」ということです。

「教養を高める」ということは「教養を高める必要がある」ということです。

意味分かりますでしょうか?

今日行く予定がある。

今日用がある。

というだけで実は幸せなことなのではないか、ということです。

私は18歳で東京に出てきて1年目は新聞配達をしながら大学に通っていました。

1年経って新聞配達をやめて次のアルバイトを探すまでの約2ヶ月半掛かりました。

今のように人手不足の世の中だと応募すれば大体受かると思いますが、当時の茶髪ロン毛男子だった私は普通に2つ面接で落ちました。(今考えると当たり前ですが・・)

そのことがものすごくショックで特にやることもなくただ日々寝て起きてテレビをみてプレステをする。

そんな日々を送ってました。

幸い八王子に家賃19,800円という破格のアパートを見つけることができたのでギリギリで生きていけましたがその2ヶ月半は自分が生きている意味を失い始めました。

面接に行く度に毎回当時付き合っていた彼女が本気で「大丈夫、頑張って!」と応援してくれていたのを今でも鮮明に覚えております。
多分なかなか決まらず、どんどんダメになっていく私をみて不安だったのだと思います。

そしてようやくガソリンスタンドのアルバイトが見つかりました。

そしてガソリンスタンドのアルバイトが決まり初日を迎えた時に、玄関で「いってらっしゃい」と言われました。

その「いってらっしゃい」の一言で色んなことを感じました。

ようやく「今日行く」予定ができたのです。

ようやく「今日用」ができたのです。

たかがアルバイトでと思うかもしれませんが私にとっても彼女にとっても大きな出来事でした。

その後、全力でアルバイトをして水抜き剤という商品の販売数過去最高を叩き出しました。

時給も一気に150円アップしてもらい、仕事の楽しさを少しずつ感じ始めました。

多分簡単にアルバイトが決まっていたらここまで頑張らなかったと思います。

私はよく「自分で仕事を作って、自分で忙しくしている」と揶揄されます。

このクセはその当時から生まれたものです。

仕事があるというのはありがたいことです。

仕事があるから生きていけます。

人がいるから仕事があります。

社員になってアルバイト教育を始めて私は初日の理念教育を欠かしたことはありません。

それは仕事の意味を心から知って欲しいからです。

教育をすること、教養を高めること。

もしかしたらそんなことに意味はないと感じている人もいるかもしれません。

面倒だと感じている人もいるかもしれません。

この意味はきっと歳を取った時に分かるものだと感じています。

歳を取っていくと能力も体力も衰えます。

その時に何ができるのか。

その時に必要とされる人とは。

その時に「今日行く」ところがある、「今日用がある」

今日必要とされている。

そんな状態を描き、今日も自分に与えられた大切な仕事と本気で向き合えば未来はきっと良くなる。

改めて教育をすること教養を高めることとは、

人の為ではなく「自分の未来への種まき」だと考えて素敵な種を蒔いてみてはどうでしょうか?

 

1日1日に意味がある。